ベランダに蜘蛛がいた。カーテンを閉めようとふと見たら、黒っぽい塊が宙に浮いていた。もう外はほとんど闇になっていたので、ベランダに漏れた部屋の明かりがぼんやりとそれを照らしていた。
次の日は雨だった。網戸だけにしておくと雨粒が部屋へ入ってきそうだったので、窓を開けることは出来なかった。蜘蛛はいなかった。あたりを見たが、どこにも姿はなかった。蜘蛛の巣の糸だけが、水滴をくっつけていた。
昨日はほとんど塊でしかわからなかったので、是非ちゃんと観察したいと思っていたのだが、雨でどこかへ行ってしまったのだろう。私はそう思って、がっかりした。
ところが次の日、蜘蛛はいた。ベランダはまだ濡れていて、手すりには水滴が残っていた。雲の間から明るい空が見えている。
私は身をのりだして西の空を眺めたかった。だけどそれには蜘蛛の巣が邪魔だった。
蜘蛛は指の第一関節ほどの大きさで、巣の中央でもぞもぞと動いていた。よく見ると、頭、胴、お尻の三つが丸くなってくっついていた。お尻だけがぼんと大きい。足は長めで、左右三本ずつ、計六本の足には斑点のような模様があった。足で自分の体を掻いているような動作は、他の生き物と同じようだと思った。
私は机の上に置いてあったはさみを持って、網戸を開け、しゃがみ込んだ。そうすると日の光が反射して、蜘蛛の巣の糸がよく見えた。
蜘蛛の巣は素晴らしかった。絵に描いたように正確で糸と糸の間隔が正しかった。私は思わず少しの間見惚れた。美しいと思った。一体いつの間にこんなものを作っていたのだろう。巣を作るのにどれだけ時間がかかるんだろう。もしかしたらすぐに出来てしまうのかも知れない。でもこんなにすごいのだから、実は何日もかけて作ったのかも知れない。
ベランダと巣を結ぶ一番端の伸びた糸を見つけ、慎重にはさみを近づけた。誤って手が糸に触れないように。
はさみの刃が合わさる音がした瞬間、蜘蛛の巣はいびつな形になった。蜘蛛がびくりと身構えたのがわかった。巣が揺れている。私は美の造形を壊した。どきどきした。
私はまた端の一本を探し、はさみの刃を合わせた。私は興奮していた。目の前で起きているこの出来事を、ビデオを撮るように見つめた。一瞬も見逃したくはなかった。
巣はもはや巣と呼べないような形になった。ただ糸が絡まっているだけだった。
蜘蛛が動いた。上のほうへ上っていく。どうやら物干し竿に端の糸がくっついているようだ。私は他の端の糸を探し、どうやら切るのはこれで最後だ、と思った。
はさみを入れると、糸は完全に竿からたらりと垂れるようになった。ふわふわと風に揺られている。
蜘蛛は竿を挟んでいる洗濯ばさみにしっかりとくっついていた。糸は竿ではなく洗濯ばさみについていたようだ。
蜘蛛はじっとしていた。なんてことだ、どうしてくれるんだ、そう思っているのだろうか。いきなり自分の家がなくなって困っているだろうか。そうだとしたら、私は悪魔である。

西の空は曇っていたが、雲が山々を取り巻いていた。まるで山に白くてふわりとした毛布が掛けられているようだった。
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くも